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タモリが赤塚不二夫を追悼「出会いは歌舞伎町の飲食店『ジャックと豆の木』、ブレイク後もふたりふざけて見せるSMショーは新宿で人気だった」

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この記事は16年以上前の記事です。情報が古い場合がありますのでお気を付け下さい。

ソース(日刊)

 

関係者によると悲報後は落ち込んだようだが、この日の「笑っていいとも!」の生放送には予定通り出演した。

2人が初めて出会ったのは75年。場所は東京・歌舞伎町の飲食店「ジャックの豆の木」だった。タモリは早大中退後、地元の福岡で保険会社員など職を転々としたが、ピアニストの山下洋輔氏を介して同店に呼ばれ、珍芸を披露。怪しい外国語を操るギャグなど6時間ぶっ続けの独演に笑い転げ「天才の出現だ」と喜んだ赤塚さんから宿泊先を聞かれ「ない」と答えると、東京・目白のマンションに招かれた。(略)タモリのブレーク後もよく飲み明かし、2人がふざけて見せるSMショーは新宿で人気だった。(ソース部分引用・前後中とも略あり)

週明けのテレビは赤塚先生の報道一色でしたが、この話を聞くと、「新宿を象徴する人物はタモリ」というのもあながち「いいとも!」だけのせいではないのかもしれません。彼も赤塚先生も、元々新宿に根付いていたのですね。しかしSMショーっていうのが赤塚先生&タモリらしい。

 

ジャックと豆の木については 奥成達資料室 に資料がある。

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