歌舞伎町の中のUSA

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 歌舞伎町で「USA」といえばもちろんアメリカのことではなく、老舗のヘルスだった。まあもう1店「クリスUSA」というところがあるが、それとは別のお店。「だった」というのは、(USAのほうは)今ではまったく店名の違う店舗になってしまったので過去形なのである(現在のかむくらの左のビルの地下にあった)。青年だったころは心痛めるとこのお店へとせっせと通っていたものである。USAは優良店・多摩クリスタル等と同じ系列で、古くからよくTVに出たり雑誌に掲載されていたので元々ぼったくられたりしないお店だということはわかっていた。このお店の特徴は、マジックミラーが設置されていて、中に待機している女の子を見て選べるという、相手に知られない置屋みたいな構造になっていること。1回目と2回目で全然違う人を指名しても、相手にはわからないという仕組みで、子供心に(年齢的には大人だが)よく考えられているなぁ、やはり80年代風俗から生き残ってるお店は発想が面白いと思ってしまった。80年代風俗というのは非常に気が狂っていてパワーがあった。東京性などの写真集や絶版文庫本の東京デカメロン、街中の古本屋にある「写真時代」を見るとよくわかると思う。
 元々生真面目だった自分がなぜここに若い頃(15年くらい前)通ってしまったかというと、その頃エロ本編集になってしまったため、毎日毎日性器の見えた写真を見ながら20時間近くグラビアを組んでいる状態だと飯場の労働者みたいなもので、早朝には単純に性欲がわいてくるということもある。またもう1つ、当時自分には「エロの素養」が少なかったので、教育の一環として上司からできるだけ性的な現場に触れることを望まれていたのだ。当時街はAIDSパニックの頃だったのであまり風俗店には行きたくなかったのだが、USAはそれ以前から「コンドーム使用の店」であった(その頃は他店もそうしていたが、ほとんどがAIDSのほとぼりが冷めると「生」に戻ってしまったが、ここは固持し続けた。コンドーム代を女子から高い値段で天引きしていたからそれをやめたくなかったのが理由ではないか?)。
 当時自分は快楽よりも「安全」な風俗に行きたかったので、どうにもここが性に合ってしまったのだ。勿論、たまたま当たった女の子が非常に生真面目な人で、僕は細かい家庭のことは聞かなかったが、早朝から「パン屋に勤めてると嘘ついて」仕事しているという学生の子だったということもある。親孝行なことに、かなりのお金を家に入れているらしい。自分は「編集者さん」と呼ばれ、徹夜の時は風呂代わりに髪を洗ってもらったりして結構楽しかった。だからといってさめていた私は擬似恋愛にもならず、客と風俗嬢の距離感を持ったまま、たまにお世話になっていた。
 早番の子でも自宅から来る子は、わりと真面目な子が多い。当たり前だ、朝5時半に新宿に通ってくるんだから。歌舞伎町界隈はその頃も公私ともに入り浸っていたが、USA前で好きだった友達が歌舞伎町のホテルからカップルで帰ってく姿を見て傷心したり、マック前で会ったヤク中の大阪・自称ム所帰り大物東北ヤクザ娘の女の子が宿がないというのでホテルKENTを世話してやり、いろんな妄想話を聞かされたり、いろんなことがあった。
 しかしそんなお店にも通わなくなる日がやってきた。相手がだんだん喉が枯れてきて、声が出なくなってきたのだ。痛々しくなってきたがそれでも彼女は仕事を続けていたので、ある日こちらのほうが「今日でもう来ない」と宣言をせざるを得なかったのだ。仕事を続けていることが少なくとも一因だし、その状態から彼女が逃れてほしいとも思ったからである。それから数年、その近辺にはいかなかった。
 しばらくして(何年か経って)から、USAは個性を出すため&人件費を安くするため?白人など「外国人」比率を以前よりも大幅に高める路線になっていたが、まだその子が居ることがわかった。普通、風俗嬢どうしではいくらか友達が出来たりするものだが、外国人の中で会話も出来ずに黙々と待つ彼女の芯の強さには頭が下がるばかりだった。しかし今更客としてついて何を言うということでもないしそれも自分的に気持ち悪いので、彼女の幸せだけを祈ってその場を立ち去った。
 さすがに15年近く経った今、まだ同じことはしていないと思うが(今は人妻風俗とかあるので30代でも働けたりするのが怖い)、蓄財したお金を有効に生かし、きっと東京のどこかで誰かと幸せになっていることだろう。そしてこちらはというと、……ぜんぜん幸せになってなかったりするが、日々平穏なのでそれでよしとせざるを得ないだろう。



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