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肉欲の街

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この記事は19年以上前の記事です。情報が古い場合がありますのでお気を付け下さい。

 新宿が性風俗の街といわれた80年代からもう20年以上が経つ。
 現在の新宿でもまだまだ多数の風俗店が店を構えるが、新風営法(看板を出す不許可店より、看板を出さない届出済デリヘルのほうが認められる)の影響もあり、老舗店がどんどんとビデオBOXやホテル派遣系のデリヘルに変わっていってしまったりして、看板をしまっている。少しさびしい感じもする。
 僕が行っていたのは90年代頃だったが、ファッション・マッサージといわれるジャンルばかり行っていた。ときには仕事(接待)の待ち合わせをファッション・マッサージの待合室でしたこともあるくらいだ。待合室数あれど、風俗店の待合室で地方から来る来客と待ち合わせたのは私くらいだろう。
 ほかにも、話の種と経験のためにソープにも2度ほど行ったような気もするが、そちらは「伝統芸能」という感じがして、あまり性にあわなかった。
 ファッション・マッサージ店には、20歳そこそこの女性が部屋で篭っている。そして画一なサービスをされるのであるが、サービスのほうが画一なだけに、その後の会話で彼女たちの生活や仕事の話を聞くと個性が浮かび上がってきて楽しかった。多くの女性はやはりホストにハマっていたり、金銭的にだらしない結果で労働していたりするが、なかには「パン屋に勤めている」と嘘を言っていつも早朝お店に出ているものすごい親孝行ギャルや、風俗で稼いだ金で事業展望を語る人、大学・マッサージ系の専門学校・海外留学に通うための学費を稼いでいる人なども結構な数いた。だいたいマッサージ店は1万から1万五千円で、バック(女の子がもらうお金)は半額程度店に抜かれた状態で渡される。5千円から7千円強だ。当時はコンドームをする店も多かったから、コンドーム代などもそこから引く店もあった。お店に有利なシステムではあるが、彼女たちはまじめにいろんなことを考えて、目標を持って男性の凝り固まったそれをいろいろとしたりしていたのだ。いまのデリヘルは金額が2倍くらいにはなっているので、もう少しはバックが多くなっているのだろうが、歌舞伎町という街にはこの瞬間にも射精に至っている人が何十人何百人と居るのか、かつ抜くために待機している女性が千人くらい居るのかと思うと、なんとも複雑な思いがする。
 新宿は「区役所の裏も表もストリップ小屋」「交番の後ろがソープランド」「とてつもない数・3層構造のラブホテル街」「おいしい飲食店から裏社会まで」という、世界的にも例のない、外人が見れば驚くようなところだが、この街は居心地がよい。嵌まるとなかなか抜け出せないのは、風俗営業に限らず水商売の人たちを見ればわかることだ。30年選手、40年選手はざらである。
 そして、私自身も今は風俗店に行くことはなくなったが、いまもずぶずぶと、街自体に嵌まっていることを自覚している。日本で、公私のすべて、なにをするにも徒歩5分圏内ですべてが住んでしまうような所はあまりない。新宿以上に「便利」な街はどこにもないからだ。
 大人でさえあれば、恋愛する男女たちも、刹那のままに交わる行きずりの人たちも、ゲーム・センターや、書店・映画などで時間を潰し誰ともかかわらない人すらも、路上生活者も、生きる物すべてをこの街は飲み込んでいく。
 これは2004年の今でも、昔でも変わっていない。

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