→ソース(Cablog)
元歌@SMMDさんの運営するCablogによれば、花道通りの原型である蟹川、川をはさんで街が違うというのはよくある話なのですが、実はさまざまなサイトの文献を読み解くと……詳しくはリンク先へ。
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賃貸マンションを退去する時、敷金から差し引かれる修繕費用について
高額な費用を請求されるトラブルが増えています。
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お申込みをいただき、トラブルの早期解決のため、
正しい交渉手段のアドバイスと交渉に有効な修繕費の適正金額を算定します。
花道通りは昔から境界線だった?
この記事は18年以上前の記事です。情報が古い場合がありますのでお気を付け下さい。
コメント
古い人は、ホテルアビスがある辺りを新田裏というので、
何気に使ってましたが、明治20年頃の地図をみると、
新田裏といっても、もうちょっと広い範囲みたいですね。
花園神社が今の伊勢丹の位置から移転したのっていつごろでしたっけ。
新田裏、という言葉は、日清食品かどっかで聞いたことがあるような。(調べたら日清食品前の停留所は元々新田裏日赤病院前だったそうです)
参考資料:http://homepage3.nifty.com/-pastoral-/mato-busstop-23ku.htm
ところでアビス地下の元火鍋屋跡地とか物件まだ空いてますよね。隣のビジネスホテルのテナントも…空き物件があるということは、逆に発展性があるといえなくもないですが。Bali anみたいな「裏技」もありますし…
花園神社のホームページによると、寛政年代に申し出て、
享和3年(1803)には史料に名前が登場するようなので、
移転は1789年~1803年の間だと思います。
タクシーの運転手さんに「新田裏」というと、
今でも意外と通じたりします。
ゴールデン街裏にあったネルソンズバーも無くなりましたが、
お店が減ると寂しくなりますね。
ちょっと行くと賑やかな街だけに余計。
アビスの地下とかは何か難しい理由があるのでしょうか。
新田裏の先を斜めに走る道は「餃子専科 LEE」に抜ける道でしょうか。
新宿に鉄道の駅ができたのは明治18年ですから、
このころには線路が通ってるんですね。