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92歳のハモニカ横丁バー「ノアノア」の元ママが水俣で絵画展

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この記事は15年以上前の記事です。情報が古い場合がありますのでお気を付け下さい。

ソース(朝日) (西日本新聞) (西日本新聞 写真あり)

1950年…遠い昔だけど、新宿としては当時はモダンだったんでしょうね。吉祥寺が有名なせいか、新宿のハモニカ横丁の情報がWebにあんまりないですね。

かつて東京・新宿でバーを経営しながら水俣病患者らを支援した東京都東村山市の若槻菊枝さん(92)が描いた油絵の個展が、熊本県水俣市の胎児性水俣病患者らの授産施設「ほっとはうす」で開催中だ。同施設の開設10周年記念で、若槻さんにとっては初の水俣での個展。23日まで。

若槻さんは新潟市出身。19歳で上京し、1950年、新宿駅近くの通称「ハモニカ横丁」にバー「ノアノア」を開いた。シャンソンが響く店は編集者や芸術家のたまり場になった。

常連の一人で、水俣病を描いた記録映画作家の故・土本典昭監督に薦められて石牟礼道子さんの「苦海浄土」を読み、衝撃を受けた。71年に水俣市を初めて訪れ、石牟礼さんらの案内で患者に会い「胸が苦しくなった」という。

店にカンパ箱を置き、集めた約600万円を水俣に送った。水俣病原因企業のチッソに抗議するため患者らが東京に来たときは自宅を開放。患者運動のリーダーだった故・川本輝夫さんらとチッソ本社前の座り込みに加わった。 (朝日ソース部分引用)

あの日の新宿―写真と地図でたどる 昭和25年から30年代の思い出と出会う (地図物語) 佐藤 洋一 ぶよう堂編集部

コメント

  1. 好吃 より:

    ハモニカ横丁とは懐かしい。
    「ノアノア」のママはご健在でしたか。
    生まれて初めての台湾香腸と紹興酒は、あそこの坂の途中にあったお店でした。
    渋谷の方へ移られたと聞きましたが。
    「小茶」も最初はハモニカ横丁でしたね。