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ファッション誌の編集者は歌舞伎町のレンタルルームの原稿執筆で病気になった

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この記事は16年以上前の記事です。情報が古い場合がありますのでお気を付け下さい。

ソース(日経ビジネスオンライン)

 

平凡社で嵐山光三郎の下で働いて退職し、事務所をつくってその後に平凡出版(現マガジンハウス)に入って平凡パンチに配属された人。POPEYE編集部、BRUTUS編集長を経て、現在は100人近いスタッフを抱え、VOGUE NIPPON、GQJ APANなどを発行する会社の社長(編集兼)になっている編集者の記事が載ってました。

本当に悩みました。それまでは本を読み、事実は何か、ということをちゃんと書くんですね、当たり前の話ですけど。「平凡パンチ」で、今でもよく覚えているんです、最初に渡されたネタ。デスクからスポーツ新聞のベタ記事を渡されるんですよ。「斎藤君、これに行ってきなさい」と言われて見ると、歌舞伎町にレンタルルームができたという記事なんですね。そのレンタルルームを「取材してこい」と言うんですよ。

カメラマンと行って、おばちゃんに「料金は幾らですか」とか、「どんな人が来ますか」とか聞いて、原稿を書くんです。渡したらデスクが、「斎藤君、これは事実だけど真実じゃないよね」と言うんですよ。「どういうことですか」と言ったら、「隣の部屋からアー、ウーという声が聞えたという原稿になってないよね、読者はそれを期待しているんだよ」と言われたんです。それで、コペルニクス的転回が頭の中で起きて、「これは無理だ」と思ったんです。それで病気になりました。(ソース部分引用・山中浩之:文。前後略)

80年代当時の(退職後の嘱託での)月給50万とかバブルすぎる! 僕がいた会社はその頃は給料が9万という話を聞いています。エリートとそうじゃない世界との差か。どういう病気になったのかは、ちょうどそこから会員登録しないと読めないのでわかりませんが、80年代の輝いていた性風俗時代の歌舞伎町の取材で病気になるというのはもったいないというか…。脳内でものすごい転回が起きたという表現は僕の友達の東大卒の人もしてるので、頭が良すぎてなんでしょうねぇ。

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