東京農大教授が新説「新宿御苑は中央線を走る電車を借景としてデザインされたもの」



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ソース(東京)

新宿御苑の設計図は戦災で焼失したというが、鈴木教授らは他の文献資料から開苑当時の土地利用図を作成。図によると、公園の南端にある西洋庭園の南を線路が走り、さらに線路を挟んで南側まで敷地が続く。公園が線路を取り込んだ形だ。
 鉄道総合技術研究所(東京都国分寺市)によると、当時の鉄道は一八九四年に新宿-牛込が開通した甲武鉄道。現場付近は一九〇四年に電化された。当時の苑内からは、蒸気機関車や最新の電車が行き交う姿が見えたとみられる。現在は線路と接する場所は樹木が生い茂り、木々の間から電車が少し見えるだけ。鉄道は公園と切り離された形になっている。(ソース部分引用、前後省略)

公園の設計技法の問題なんでしょうけど、まぁ今もかなり優秀な公園ではあると思われる新宿御苑ですが、昔はもっと公園自体の要素に娯楽性が高かったのかもしれません。今は御苑100年で、当時の担当者・福羽逸人(ふくばはやと)の本などが出ていますが、皇室庭園から、現在の庭園と移行するための改修の設計者はフランス造園界の人、アンリ・マルチネだとは知りませんでしたね。
なるほどねぇ、日本人じゃああいう公園にはなりませんよね。

コメント

  1. にゃんぶ より:

    現在の千駄ヶ谷駅のあたりは「高架」になっているので御苑とほぼ同じ高さを線路が走っていますが、御苑が設計された当時(明治)も高架だったんでしょうか・・・?
    御苑を通り過ぎた信濃町あたりでは逆に谷底を線路が走っています。
    福羽逸人の回顧録には、福羽は現在の明治神宮や明治神宮外苑の土地を含めた広大な皇室庭園を造ることを夢見ていたことが記述されています。現在の赤坂御所は仮皇居として使われており、迎賓館も無いころの話ですから、まさにベルサイユ級の皇室庭園を構想していたと考えられます。
    そのど真ん中にあえて列車を見せる計画を描くとは、にわかに信じがたい話だと思いますが、如何でしょうか?

  2. tx より:

    にゃんぶさんありがとうございます。
    多分に「説」ですから。既に没した人のことはなんとでも言えますし。
    すごい。あの値段(7000円くらいでしたっけ)の回顧録買われたんですね、御苑マニアですね。