新宿ロフトがまだ西新宿にあった時代

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 きょうは古い話。
 新宿LOFTが、まだ西新宿にあった頃、80年代後期から90年代の初期。自分はまだ二十歳そこそこで、インディーズ・ブームの真っ最中だった。日本中からそれを目的に上京してきたような女の子が沢山居るような時期で、そこかしこにライブハウスがあり、ぴあやシティ・ロードを持って皆が日々いろんなものを口コミで見に行っているような楽しい世界だった。今はビルだらけになってしまった汐留も、当時パナソニックがスポンサーになってそういうライブ用の仮設イベントホール(テントみたいなもんだけど)があったり、「ぴあ」誌がチケット事業を独占、そういったライブチケットもほとんどを扱い、今と比べ物にならないほど力を持っていたり、バブル真っ只中。新宿LOFTはそんな一連のブームの中で、すでにカリスマ的なライブハウスとなっていた。
 自分はその頃もアマチュアながらすでに編集活動をしており、そういったいわゆるロフトをベースにしていたバンドの本を1冊編集する機会があった。それは伝説になっている「バンドやめようぜ」というファン向け無料配布ミニコミだった(Vol.1のみ協力)。当時宝島社(当時JICC)から出ていた「バンドやろうぜ」という本に対するアンチ雑誌というコンセプトは非常に面白く好評で即ソールドアウト、続編も作られるほどだったのを覚えている(企画は優秀なのだが、芸能ゴロだった当時の担当者は後に相当不仲になり今でも許すつもりはない。これもし読んだら死んでも連絡してこないように)。あーいうくだらない本を作るというのは今でも20年前でも変わっていない。
 他にもロフトにまつわる仕事の思い出がある。「バンドやめよう~」以降、某電波系編集プロダクション(といっても電波新○社の仕事をしていたプロダクション)を経て現在の職場に移り、入って5年目くらい、マルチメディア系の雑誌を作っていた頃のこと。あまりその雑誌が売れないので(それでも今の2.5倍売れていたが)、いつしか休刊のうわさが立つ。焦ってとち狂った我々は早朝にラベルシールを作成、「ステッカー作戦」を決行。新宿界隈の道路際やライブハウスに雑誌名の入ったシールを沢山貼った。当時、バンドはなにかとステッカーを作るのが決まりみたいになっていたのだが、雑誌のシールを(ゲリラで)LOFTやJAMに貼ったのは我々くらいだ。今考えるとなんて効果の薄いことをしていたんだろうと思うが、狂人だったので本気で破れかぶれな作戦に出ていたのだ。その後その雑誌は、最終号は売れたが会社がもう我慢できないという意向でつぶれ、LOFTも閉鎖といううわさが耐えなかったが、LOFTは今ではステッカーを貼ったら半殺しにされてもおかしくないような歌舞伎町の飲食店雑居ビルへと移転して不死鳥のように復活。そして、いつのまにかロフトプラスワンというサブカル系トークライブ用の系列店も持っている。それと同じように我々の手持ちの雑誌も転生し、増殖をしてこの不況下にもありがたく編集稼業を続けている。オーナーのおやじさんの思想とかかき回し方とかは好きじゃないが、転生してでも長く続ける、いまだにある、そういう意味ではシンパシーを感じたりするのだ。同じモノを10年もまわしていると、すでに2世代目とかに客がなっていたりするのは、あそこもうちも同じだろう。
 そんな思い出だけじゃなくて、普通にライブにもたくさん行ったり恋愛の話とかもある訳ですよ。でも20年前のバンドの感想や童貞レベルな話なんか、いまさらつまんないのでパス。最近「あの頃(80’s-90’s)」に思うのは、ここ数年カラオケに沢山、当時のインディーズ系音楽が入っていたりして、この調子で行くと、いつか「なつかしのメロディ」に筋少やケラが出る日も来てしまう時代が来そうな気もする。
 
 ちょっと脱線したが、前述の「ステッカー作戦」でわかったことが1つ。新宿の場合、シマの問題もあるのだが、「街の浄化」にはとても熱心で、とにかくとてもシールや広告物を「剥がす」ということに手馴れている。たとえ貼っても翌日に1割残っていればいいという感じだった。
 どうりで、他の町に行くとある、不動産の売買の電柱看板や、風俗系の捨て看とかも全然見ない訳だ。屋外広告物条例的にはよくないことをしながらも、普段まったく歩いていてもわからない、「歌舞伎町は、ああみえて実は環境の浄化がすごい」ということを意識することとなり、別な意味で勉強になった。
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